民主党はダメ政党?政治を考えてみる2012 夏

松宮 湊人

2012年08月26日 07:46

劇的だった政権交替から、はや三年。
この三年間でほんとに色々なことが起きすぎて、日本が一つの転換期を迎えているのは、もはや誰の目にも明らかでしょう。
よって次に行われる選挙は、まさしくこれからの日本を決める(変える)重要なターニングポイントでもあるといえます。

しかし、ここでちょっと政治を考えて整理しておきたいと思います。
改革はあまり進まず増税だけが先に決まり、世間で公約違反と叩かれまくりの与党、民主党。
前政権だった自民党と公明党の、必ずしも有能といえない野党ぶり。
他の野党は小数乱立で、足並みそろわず…。
既成政党のあらばかりが目立ち、国民は嫌気がさしています。
そんななか、橋下大阪市長をはじめとする、地方政党・地域政党といわれる第三勢力が、注目を集めてきています。
しかし、、、多くの人が語る言葉に、私は少し納得がいかないのです。

以前の記事「責任はどこにあるのか」で述べたとおり、わたしたち国民も、政治に責任があることを忘れてはなりません。
いろんなニュースや話を聞くと、どうもそのことが抜けていると感じるのです。
例えば、今の民主党政権について。


政権交替後、鳩山氏の普天間基地をめぐる発言からはじまり、菅氏と小沢氏の問題、党内における対立と方針のブレ、ねじれて決まらない国会と政治、公約違反・マニュフェスト違反だといわれても進める消費税の増税、そして党内対立と分裂…。
マスメディアでも言われるとおり、民主党はもはや政権担当能力がない、ダメ政党…なのかもしれません。
しかしながら、民主党がなぜ消費増税に踏み切らざるをえなかったか、と考えると、わたしたち国民自身の「ブレ」から来ていると、私は考えています。


三年前、長く続いた自民党政権による政治の行き詰まりと経済の停滞感から、国民は新しい政治を求めて民主党政権を誕生させました。
多くの国民が、新しい政治と改革に大きい期待を寄せました。
しかし、なかなか改革は進まず、また鳩山首相(当時)の普天間基地移転に関する発言や、小沢幹事長(当時)の強権ぶりと政治資金の問題などに足を引っ張られる形で、民主党支持率は暴落。
間近に迫った参院選のために、あわてて鳩山・小沢両氏が責任とって辞任する形で首相が菅氏になりましたが、期待が大きかった分、国民の失望感は強く、参院選で大敗。
衆参ねじれ国会となってしまい、改革はまったく進まない状況となってしまいました。

ただ、改めて客観的・論理的に考えてみると、初めて政権担当する民主党が、そう簡単に改革を実行できるはずがありません。
初めの一年くらいは、政権を担当し政府を動かすだけで精一杯だったはず。
加えて既成勢力や官僚からの反対と抵抗も、かなり大きかったと推測できます。
だから民主党がかかげた改革は、参院選が終わった次の年の通常国会(予算国会)から本格始動する、はずでした。
つまり、民主党の改革を本当にやらせるつもりだったら、参院選は民主党を順当に勝たせなければならなかったのです。
国民が、目前の鳩山氏の失言や小沢氏の強権ぶりなどに左右されることなく、しっかり大局を見てよく考えたうえ、どちらを勝たせるべきかきちんと判断できていたのか、疑問があります。
民主党を勝たせていたなら、民主党の改革はそれなりに前へ進んでいたでしょう。
民主党が負けたならば、わざわざ劇的な政権交替をさせておいて、わずか一年で改革が頓挫するのは目に見えていたはずです。

しかし、国民は目前の事象に心がブレて、参院選で民主党を大敗させました。
結果的に、国民が民主党の改革の足を引っ張ったのです。
つまり、国民が改革に「まった」をかけた形です。
今、改革が進まない、政治が決まらない状況を作ったのは、選挙の結果であり、国民の意志でもあります。
そのことを、われわれ国民はきちんと理解しているのでしょうか。
国民は、改革の足を止めさせた原因が私たち国民にもあるにも関わらず、改革が進まないから民主はダメだ、決まらない政治がダメだと、ただ一方的に言っているように感じます。
進まない、決まらない政治は、国民にも一因があります。
選挙で議員を選んだのは、われわれ国民ですから。
その結果を、結果として国民がきちんと受け入れてるのか、いつも疑問に思っています。
私たち国民自身が、民主主義を理解していないのではないか?、国民自身が主権者たる国民として成熟していないのではないか?、と思うのです。
そして、選挙が国を左右する大きな力があるということも、再認識しなくてはなりません。

参院選のあの瞬間、私は「政治もブレるけど、国民が一番ブレるんだな」と思いました。
(先の衆院選で大きく民主党へと振れた反動とも言えますが)
国民がブレるから政治もブレる。
必然なことだと考えます。



さて、参院選の結果、民主党の改革の多くは頓挫することになります。
当時の菅首相は、民主党内で国民に不人気の小沢氏と対立する形を作り出し、支持率上昇を狙いましたが、初めうまくいっただけで結局浮揚できず、ねじれ国会もあって政治はまったく前に進まなくなっていました。
そこで起きた2011年3月11日、東日本大震災。
非常事態に政治は挙国一致するかと思いきや、民自お互いの意地がぶつかって協力できず。
原発事故の政府不手際もあり、国民の支持は下がり続け、同時に野党協力得るために菅氏は辞任。
今の野田内閣が発足します。

まったく進まない政治。
ねじれ国会のなかで、改革、政治を進めるためにはどうすれば良いのか。
民主党が導きだしたのは、野党の自民・公明から協力を引き出しやすい消費税増税にからめ、社会保障改革とまとめて法案を通す、という手でした。
これが野田政権が進めてきた、消費税と社会保障の一体改革です。
改革を進めるにはこの手しかなかった。
民主党はこの手を選ばざるをえなかった訳です。

そして、そうせざるをえなかった原因の一つは、わたしたち国民にあります。
結果論だけで言えば、消費税増税はわたしたち国民が前の参院選でねじれ国会を選択したから、といえます。


このように順を追って客観的に「流れ」を考えれば、物事が見えてくると思います。
その時その場で起きた事だけを見て、何が悪い、ここが悪いと言うのは簡単ですが、それは必ずしも的を射ているとは言えません。
大事なのは「流れ」だと、私は常に考えています。


そしてさらに重要なことは、マスメディアの責任です。
国民の心がブレた原因の一つに、感情へ訴えるように報道しまくったマスメディアの報道があります。
本来ニュースというものは、あくまで中立性を保ち事実を淡々と報道すべきもの。
堅苦しいけれど、受け取る側に考える余裕を持たせ、視聴者側で物事の判断をすることができるのです。
ところが近年、マスメディアは視聴率を取るためにおもしろおかしく?感情へ訴えるように、ニュースを報道するようになりました。
平たく言えば、ニュースのワイドショー化です。
小泉政権の頃から、ニュース・報道の質の低下を強く感じています。
感情へ訴えるような報道は、視聴者は考える余裕はほぼなく、感覚的に感情的にこうだと決め付けられた情報が入ってくるのみです。
感覚的・感情的に入ってきた情報は、そのままイメージが固定されて(誰が良い、悪いとか)記憶にとどまります。
本来なら、色々な立場やどこを基準に考えるかで、善悪や正義なんて簡単に変わるものです。
ニュースがイメージ(善悪など)を決め付けるように報道され、視聴者はそのイメージをそのまま受け取り、そのまま記憶する。
これはマスメディアによる、一種のマインドコントロール、世論の操作にあたるのではないか。

郵政選挙の小泉劇場から始まり、次の参院選の安倍自民党の大敗、続く民主党への政権交替、そしてまた参院選で民主大敗。
一連の政治・選挙の国民の心の振れ方、結果むかえる政治の混乱には、マスメディアの質の悪い報道にも責任がある。
しかし、マスメディアはそれについてほとんど自分達の非を認めていないところが、大きな問題です。
国民の知る権利の代表、ジャーナリズムの自由と称しながら、情報はただおもしろおかしく報道しっぱなし。
その後に報道が社会に与える影響は、どうも無関心に近い。
視聴率至上主義がもたらす弊害といえます。
だから私は、どうもマスメディア(特にTV)は信用できないのです。
このブログではよく言ってることですが、皆さんもマスメディアのニュースを見るときは、ぜひとも気を付けて見てください。
本当の所はよく伝わってこないのに、何らかのイメージだけはいつの間にか強く植え付けられてしまいます。
そんなニュースからは、真実は見えてこないのです。


(つづく)