大飯原発停止の判決を受けて、原発耐震性を再考する

いや、当たり前の判決のはずなのに、日本の司法では難しいことなのか…、と違うことを考えてしまいました。

先日、福井県大飯原発周辺住民が原発再稼働を認めないよう求めた裁判で、福井地裁は住民の訴えを認め、再稼働を認めない判決が出ました。
担当した裁判長は、
ここ十年で原発の耐震基準を超える地震を原発所内で五回も観測している。これでは施設全体に十分な安全性が保たれているとは言いがたい…。
といったようなことを述べたそうです。
「まさしくその通り」と私は思いました。
この普通の感覚、市民に近い感覚は、地裁だから出た判決だとも言えます。
人格権まで踏み込むこの判決を下した担当裁判官に、深く敬意を表します。
そして多くの皆さんに、当たり前なのに画期的なこの判決内容を、知ってほしいと願っています。

しかしながら、たぶんきっと高裁・最高裁へといくに従い、この判決は覆される可能性が高くなるのではないかと予想しています。
日本には国家のための司法はあっても、市民のための司法はないのか?
これから先は、それが分かる裁判と言えるのでしょう。


さて現在、安倍政権の強い後押しと電力会社や経済界などからの要望も受け、原子力発電所の再稼働の話がどんどん進んできています。
平成26年3月には、今後のエネルギー政策が閣議決定され、民主政権で閣議決定した原発ゼロを目指す政策は完全に撤回、原発はベースロード電源とかいう位置付けとされて、安全とされた原発は再稼働させる、と決まりました。
つまり、今ある原発はなるべく使っていこう、と国は決めたのです。
国民の世論調査においても、事故直後は約8割が再稼働反対だったものが徐々に下がっていき、現在では5〜6割程度が再稼働反対という結果となってきています。
福島の原発事故は、その原因も終息も見えないのに関わらず、国民の「風化」は確実に進んでいるようです。
非常に残念でなりません。

しかし、本当にこのまま再稼働することが良いのでしょうか?
もう一度、日本の原子力発電所が置かれている状況、特に地震と耐震性について、素人ながら個人的にまとめて再考してみたいと思います。



私の原発に対する基本的な考え方は、以前アップした記事と変わりません。
私は、いま日本にある原発は原則的に再稼働させるべきではない、と考えています。

日本はどんなに地層や活断層を調べて比較的安全な立地を探したとしても、全ての活断層を正確・確実に把握することは難しく、ゆえに日本国土において直下型地震が起きない場所というのは、絶対にありません。
日本は、どこにいても直下型地震が必ず起きます。
地震が起きない安全な場所というのは、日本にはありえないのです。
今、原子力規制委員会が現存する原発立地の地層や活断層を調べて、その安全性を調査していますが、それを調べたって未知の活断層が動いて直下型地震は来るときは来ます。
正直、私はこの作業にはあまり意味がないと考えます。
活断層調査をやるよりも、とにかく原発自体の耐震性を、どんな巨大地震が来ても絶対に耐えられるくらいまで高める、というほうが議論として正しいと思います。
しかし、どんな巨大地震にも耐えられる原発というのは、まったくのゼロ状態から作り上げなくてはなりません。
つまり、耐震基準をこれでもかと高くした設計図にて、新たに建設するしかありません。
いま日本にある、超が付くほど甘い基準で建てられた原発に後から補強した程度では、巨大地震に耐えられる耐震強度は得られないでしょう。
ゆえに私は、今ある原発は一切再稼働してはいけない、という結論になるのです。


直下型地震は私たちの想像を超える揺れを与えます。
前の記事でも言いましたが、世界最大の観測地震動は岩手宮城内陸地震で観測した、4022ガルです。


ガルは加速度の単位。1ガルは1秒(s)に1cm毎秒(cm/s)の加速度を与える力の量。例えるなら、ブランコに乗った人をどのくらいの速さで動くように押すか、という力の大きさです。また加速度に物体の重さを乗じると、物体が動いているときの力の量が出せます。体重60kgの人に4000ガルの揺れを与えると、計算上はその人が約245kgfの力で動くことになります。同じように1tで計算すると、計算上約4tの力で動くことになります。原子炉や建屋は鉄とコンクリートの固まりですから、想像を超えるとんでもない力加わるのは確かです。


地盤の堅さなどにも影響するので、さすがにそこまでの揺れはそうはこないとしても、私が素人ながらだいたいで見積もって、直下型大地震では2000ガル程度の地震動が来る可能性は十分ある、と考えています。


では、いま原子力規制委員会が定めようとしている原発建屋の耐震基準はどのくらいなのか?
規制委員会の基準は、地質調査で判明した活断層が、最大級に動いたときの地震を想定して求めるものです。(ここでも活断層調査が基準になっていることに、不満を感じます…)
ゆえに原発立地によってその数値は違ってきます。
そこから出てくる基準地震動は、ちょっと知識をかじった私が見ても低すぎるものです。
例えば、現在先行的に規制委員会の審査が進められている、鹿児島県川内原発。
川内原発では、旧指針の建屋耐震基準が540ガルだったものを、新しい基準算定で620ガルとしました。
この620ガルという数値で規制委員会からOKが出て、再稼働へ向けた審査が続いています。
これをニュースで聞いた時、私の第一声は「低い!マジですか?」でした。
新しい耐震基準は最低でも1000ガルは超えてくるだろう、と安易に考えてた私が馬鹿でした。
ちなみに九電が言うには、この数値でさえ思い切って上げた数字、なんだそうです。(80ガルしか?上がってないけど…)
感覚の違いに、泣けてきます。
(この数値は原子炉建屋の耐震基準となる数値です。つまり原発内の施設はすべてこれ以上でなければならない、ということ。一部重要施設、例えば原子炉格納容器などはこれより高い耐震性を持っていますが、そこにつながる配管などは建屋耐震基準以上でOKという意味です)


そもそも、政府や規制委員や電力会社と、私含め再稼働反対の原告団や福井地裁裁判官などの考え方は、違っています。

政府は、経済発展のために電気料を下げたいので、原発を動かしたい。
電力会社は、多額の投資をした原発を宙ぶらりんにしたままでは企業経営上問題があり、またもし廃炉となれば原発施設のすべてが負債となり一気に経営難になるので、とにもかくにも再稼働したい。
それらを受けて原子力規制委員会は、電力会社がぎりぎり達成できる程度の中でなるべく安全性を高く設定しようとしている、、、という流れに見受けられます。
要は、大量投資をした現存の原発は、ただ廃炉にしたらもったいないから、安全性をなるべく引き上げて使っていきましょう、ということです。
再稼働ありきですから、ここに「市民・国民の安全を絶対確保するんだ」というような考えは、二の次だといえます。

一方、私や再稼働反対の原告団や福井地裁裁判官は、古く甘い規制で建てられた原発に今からどんなに手を入れも、必ず弱点がある。
またどんなに活断層を調べても、原発直下の大地震が起きる可能性がなくなるわけではなく、現時点の科学力では起きるかもしれないし起きないかもしれない、という程度でしかない。
福島の事故を見れば、今後は万が一が絶対にあってはならない。
一度事故が起きたら、広範囲で長期間被害が及び、多くの人々の安定的に生活する権利、人格権を著しく侵害する可能性がある。
その万が一を考えれば、どう補強しても不安が残る既存原発の再稼働は認められない、、、という結論です。
つまりは、市民・国民の安全を第一とするならば、万が一を考えてどこかしらに弱点が出る既存の原発を動かすことは認められない、ということです。
至極当然の判断だと私は考えますが、皆さんはどうでしょうか?


事故から三年が経ち、電力供給の下地が整ったため、今夏は大停電の可能性はだいぶ低くなりました。
ゆえに原発再稼働の緊急性は、とりあえずなくなったわけです。
原発再稼働にこだわる理由は、かなり減ったと考えます。
確かに原発を動かせば、電気料の上昇は抑えられるでしょう。
それにより、電力会社の安定運営もできるでしょう。
しかし、それらは市民・国民の安全な生活と比肩できるものでしょうか?
とにかく市民と国民の安全を第一に考えることが、福島第一原発事故を受けた私たちがとるべき本筋ではないでしょうか?


私は、現存の原発はすべて停止し、一時的に国有化して国が負債を負えば良いと考えます。
国と電力会社は、原発以外のCO2排出の少ない電源開発に精力を向けるべきです。
また立地自治体の経済と財政が急に悪化しないよう配慮し、それら新しい技術の電源は優先的に原発立地地域に振り向ける。
そしてあの福島の事故を受け、私たち日本国民は、電気料が跳ね上がっても原発ゼロを目指す、という強い覚悟をするべきだと思います。
原発の再稼働と経済の問題は別問題だと割り切り、電気料値上げで家計が苦しくなっても我慢して受け入れること。
それに立ち向かうならば、とにかく電力量を減らし節電に邁進すること。
福島で避難を余儀なくされている方たちに比べたら、決して辛いことではないはず。
そうやってなんとか原発ゼロを目指そうとするのは、わたしたち日本人がやるべきことではないか、と思うのです。
それでもどうしても原発を動かしたいのなら、耐震基準の非常に高くした(私が考えるには2500ガルくらい)設計図を作り、まったくのゼロから新たに建設するべきです。
そこまでしなければ、日本で原発を動かしてはならないと、私は考えています。


あの事故から三年が経ち、風化は確実に進んでいるかもしれません。
しかしもう一度、原発についてよくよく考えてほしいと思います。
国や規制委員会や電力会社に任せっきりではなく、国民ひとりひとりが原発をどうするか、きちんと考えなくてならないと思います。
それは、福島第一原発事故を起こした、わたしたち日本人の責任だと、私は考えます。

雑文失礼しました。
m(_ _)m

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松宮 湊人
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